自分の内側にある物が言語化されることでの癒し

心のこと

ずっと悩み続けていたディマティーニ・メソッドのセッションを受ける決心をようやくして
(自分、よくやった!)
今日申込み後の事前ヒアリングを行っていただきました。
その中で、自分が抱えているもの、望んでいるものを言葉にして頂き、癒やしが起こるのを
感じていました。

一番はじめに同じような体験をしたのは、高校生のとき、村上春樹さんの「ノルウェイの森」を
読んだとき。
主人公の想いが綴られた文章が、まさにそのときの自分の心情とぴったりで
(家にも外にも居場所がなくて孤独を感じていた)なんで分かるの!?とびっくりしつつ、
自分の中で「わかってもらえた」という気持ちがうまれ、癒やされるのを感じて不思議に思った
ことがありました。
全然自分のこと知らない人の、関係ない文章を読んだだけなのに、と。

同じようなことはその後の経験でも何度もあり、自分の中で抱えていたうまくいえない思い、
感情を本やネットのページ、SNSの誰かのつぶやきで「言葉」という誰かの発信したものを
通して自分の中にあるものをみせてもらったとき、まさにこれがいいたいことなんだ、
私のなかにあるものだ、と癒やしが起こり、感謝の念がわいてくることがありました。

今日まで、私なりに自分を人生をどうにか変えたくて、自分の内側にある考え感情をノート
に書いたり、人生でやりとげたい使命にたどり着きたくて、自己分析もしてきた。
今回もディマティーニ・メソッドの本を読んで、価値観の優先順位のワークを自分でして、
それなりに明確になったつもりでいた。

それが、ファシリテーターの方の導きで質問に答えていくうちに自分が何を望んでいるのか、
何でひっかかっているのかにはっとさせられること多数。

人は自分の望み(want to)とやらなければならないと思っていること(have to)を
自分の中でわからなくしてしまいものなんだなと。
自分の欲するもの、自分のありたい姿、あるべきだと思っているものって見分けがつきにくい。
それを客観的に見てもらうこと、明確にしてもらうことは本当に価値のあることだと思う。

私はディマティーニ・メソッドを通して
「人の期待のこたえること、人の期待にこたえられない罪悪感を手放すこと」そして、
「自分自身の期待に答え、自分自身のための人生を生きられる自分になる」
ため、取り組むことを決めました。

人と付き合う上で「相手の期待に応えなければならない」「期待に応えないと愛されない」
これは強迫観念のように私のなかに染み付いている価値観。
でも、まだ頭ではわかっている・・・というレベルでしかないですが
・人の期待していることなんてだいたいわからない
・自分が、相手が期待しているものがこれだ、と思って動いたところで本当なのかわからない
・期待されたものが自分で与えられるかわからない
つまり、期待にこたることなんてできないんだ。
それが腑に落ちたら、すごく楽になると思う。

また、今日お話していた中ででてきた
「むくわれない愛」という言葉もすごく印象的で…。
私は、お母さんに対して怒って許せない、と思うのと同時に彼女を満たしてあげられなかった
罪悪感と無力感を感じている。
いつもつらそうで、満たされない彼女に笑っていてほしくて子供なりに一生懸命話を聞いて、
感情を吸い取ろうとしていた。でも、彼女は全然満たされなくて、それが苦しかった。
それを自覚できたとき、勝手に涙が溢れてきました。

自分の中に、自分の知らない扉がたくさんある、という言葉が浮かんできました。
これから自分がどうかわっていくのか、まだ文字にしていきたいと思います。

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