自分の中の扉をあけていくこと(ディマティーニ・メソッド1回目)

心のこと

ディマティーニ・メソッド1回目のセッションを受けて

セッションを受けての気づきを書いてみます。

これを読んでくださる方は私と何が繋がりがあって

同じような性質を持った方だと思うので、

なにか気づきにつながれば嬉しいです。

・私が人生で一番強い罪悪感を感じている経験のおおもとは

寂しさと劣等感。

寂しさについては、その言葉と罪悪感が結びついていることに

初めて気づいてびっくりしました。

寂しさをもつだけで、後ろめたさを感じている。

・相手が怖くて本音が言えない

というずっともっている特性は、

怒りのエネルギーが怖いこと。

人と対立するのが怖い。

この2つの恐れから来ていることは気づいていましたが、

・それを超えて相手に伝えられない自分

・それが怖くて嘘をつく(本音でない言葉を言う)自分

は意気地のない臆病者だと責め続けていました。

それが、セッションの中で

・私は言葉にしないだけで、取り繕わず本音を行動で出している

勇気を出して相手に伝えている

(行動として目を合わさない、同調しない、

ときに離れる行動を取る、という表現をしている)

ということに気づき、まず衝撃を受けました。

ファシリテーターの方から、言葉にしても伝わらないこともあるし

行動のほうが鮮明に相手に伝わることもある、と言われて

そのとおりだなとも思いました。

両親から思っていることを言葉にしろ、

謝っている気持ちがあるなら言葉で伝えろ、

と繰り返し言葉にしないと許してもらえなかったので

言葉にすることこそ正しいことなんだ、という思い込みを

もっているところがあるのかもしれないと気づきました。

日常でも、自分の思いをぽんと言葉にできる人が羨ましく

自分は劣っている、と思っていましたが

そうではないのかもしれない、と新たな視点を持てました。

実際コミュニケーションの9割が非言語であることを考えると

言葉にすることだけを頑張ったところで、伝わらないことが

ほとんどともいえるんですよね…。

また、本音を言える自分も言えない自分も存在してるんだ

と自分の両面を知ることで自信がつきました。

また、本音を言わない(社交辞令)という行動をとることで

関係性を保っているところもあるし、

逆に本音を言わずにぶつかりあうことで仲良くなりすぎて

お互いに自分のエネルギーを消耗しなくていいようにしている

というのも目からウロコが落ちました…。

人って本当に自分のことも、自分のしていることの恩恵も

デメリットにも気づいていないものなんだなと。

・他、自分が自分の本音に正直に言葉にできないことに

自分への罪悪感を感じることが多くあるのですが、それが

人一倍自分の価値観として

「自分の本心に忠実に生きる」ことが大事だからこそ

自分の本音に従っていない自分に怒りを感じもどかしい気持ちになるんだと

気づくことができました。

自分の気持ちに、本質に正直でいたいと強く思っていなければ

そこで嘘をついても平気なところ、大きな抵抗を感じているんだと。

わかったから、これをどう日常にいかすのか?

はまだまとめを読んで感じ取っている最中ですが、

前よりも自分への否定が薄れて気持ちが楽になり

こういう機会を与えてもらえたこと、決断した自分に感謝しつつ

癒しと気づきをすすめていきたいと思っています。

また、他の気付きについてもまとめられたら書いてみます。

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