今日はふと浮かんできた、というか降りてきたメッセージと最近感じていることを
とにかく文字にしてみます。
「」の部分が降りてきた言葉、ーで区切ってある部分が考えの部分です。
ここのページを開いてくださったあなたにも、こうして縁があるということは
今必要な言葉があるのかもしれません。
「お前ががまんしてばかりだからお前の宇宙は自由に動くことができない
何を頭ばっかり頼っているんだ?
それでお前は苦しんでいるんだよ。そろそろいい加減わかれ。
お前が自分をどれだけゆるすることができるかだ。
ただ見守るだけでいい、すべてを。
不自然なことをするから苦しむのだ、なぜ抵抗する?」
「何度でも伝えよう、頭で考えた所で結論はでない。
また迷うだけだ。
そのループを繰り返しても、変わらない
変わらないことを望むのであれば、同じでもかまわない」
「お前が変わらなければ世界も同じことをお前に伝えるだけだ
お前がやり方を変えるのであれば
違うものが見えてくる、聞こえてくる
それだけだ
お前が”自分の感じることを大事にすること”
それを学ぶためにいろんな出来事が起きてくるだろう
結局すべてメッセージなのだ
それを腑に落として、世界に反映していけるかだ」
「幸せになりたいのなら、まず落ち着くことだ。
落ち着かない状態で焦り、枯渇した状態で求めても、それは得られない
あったとしても、見つけられはしないだろう。
まずその場で満たされることだ。
手元に、足元にあるものをきちんと見るといい。
自分の中にある満ち足りた感覚、それを存分に感じてみろ。
すべてはお前次第だ」
「愛されたいと思いながら
宇宙からの愛を拒否しているのはお前だろう
あるものを受け取らなければそれは存在しないことになる
エゴの声ばかり聴いているか人生が進んでいかない
もっと高次なものにエネルギーセンサーを向けるのだ
お前が欲しいものはなにか?」
ー自由な時間
好きなことができる富
人に貢献できている幸せ
人の笑顔を増やすこと
人を癒やすこと
自分らしさを発揮し、無邪気に楽しんでいきること
すべてを俯瞰する目をもつこと
振り回されず、自ら選択している選択者となること
「何かを愛するとは、それを無視せず存分に味わい大事にすることだ
それをきちんと見もせずにいることは、愛することではない
愛とはなんなのか?
お前はその答えがほしいと言う。
不思議で仕方ない。
周りにいくらでもあるというのに。
「外で降り注いでいるひかり
それも愛のひとつだ
それがまったく届かない場所になど
地球という遊び場にいる限りいくことはできない
常にあるもの
その中でお前たちは生きているのだ」
ー最近感じてること
心が空洞で何かで満たしたいのに
同時に空っぽから出てくる言葉を形にしたくて仕方ない
不思議な矛盾。
言葉は際限なくでてきて、
とりとめなく
怒りを苦しさを悲しみをさみしさを
すべてあらわそうとして、それが言葉にならずに
もどかしい思いを味わったりもする。
誰かが何かが訪れたらこの場所から自由になる気がしていたけれど
そうじゃない
自分という一生付き合う場所の中、
すべてが満たされすぎて苦しんでいるのかもしれない
ぜんぶぜんぶぜんぶ足りない!満たされない
この感覚はどこからきて、どうすれば満たされるのだろう
そうやって考えているとき、ふと、心にといかけてみる。
ー幸せになるためどうしたらいい?
「それを感じろ、受け取れ、それだけだ」
ーいつもの答えがかえってくる。
ーもっと満たされていきるにはどうしたらいい?
「じっとする時間を増やせ。
想像してみろ
何かが足りない足りないと買い物で動き回っている人が
自分が本当にほしいもの、必要なものをまず感じて
それを探せるとおもうか?
もし感じられたとしても、無駄な動きがたくさんともない
最短でそれと出会うことはできない
一度何をするにも立ち止まる必要があるのだ。
それがとくに病気としてあらわれることもあるだろう
うまくいっているように見える時、夢中でうごきまわって
自分をみつめるということをしないのであれば
必要なことを宇宙が与えてくれるだろう
人が何かをさがすとき
まず何がほしいのかを十分感じようとしないだろう
だからみつからないのだ、まず感じてご覧、自分の内側を。」
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最近のわたしのテーマは感じること、今ここにあるということ、
自分を感じて受け入れることのようです。
また気づきがあれば書いてみます。
あなたの胸になにか響くものがあったなら幸いです。
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