他人が自分のあらゆる面を見せてくれる

心のこと

今日は人とあって改めて感じたこと、気づかせてもらったことを書いてみます。

人は自分の鏡、という言葉を聞いたことのある方もいらっしゃると思います。
その言葉を聞いた後、嫌な人に出会うと、私の場合
「この嫌なところは自分にあるってことだから直さなきゃいけないんだ
許さなきゃいけないんだ…。」
って思って、自分を責めたり、自分に何かを強いて苦しかった時期がありました。
あなたもそんなことを思っていたりしますか?
そうなら、一つの見方として今日の話は参考になるかもしれません。

今の私の考えは上のものとは少し違っていて
「人に会うことで、自分の中で動くもの=感情も、その動いた対象も、それは
自分の中の一面で、自分の中で大事な要素だから受け入れるチャンスだよ」
って教えてくれているんじゃないかな、と感じているのです。

まず、自分の中にある感情や要素って自分じゃ気づきにくいから、
外側=他者にあると見えるものを見て、
心が動いて、自分の内側にある感情に気づかせてくれる。
とくに普段受け入れがたくてみたくない
許せないとか、嫌い、とか目の前から消したいって思うのも、
そんな感情が自分にあるって気づかせてくれるチャンス。
負の感情って認めたくないから抑圧しがちだけど、
どんな感情もあっていいって受け入れる、チャンス。
受け入れようと受け入れまいとその感情が自分の中にあるのは事実で、
それは感じて、癒してほしくてあがってきているものだから、

あとは、人に対して羨ましいなーってじたばたするところは
同じだけその要素を自分も持っていて、気づけていないところ。
人に対してなんか嫌だな、ここは受け入れがたいと思うところも
自分も同じ要素を持っている。だからそれにOKを出せるようになって
自分をまるごと受け入れられる自分になるために
他人が自分に見せてくれている。
このことについて、もっと丁寧にディマティーニさんが著書で語って下さっていますが
(全く同じ言葉じゃないし、私なりの解釈も入っていますが)
前の私は受け入れられなかった。
憧れている人とおなじものを持っているとも思えなかったし
嫌いで仕方ない人とおなじものを持ってるなんて絶対拒否!したかったし
私は正しい、あのひとは間違ってるって言いたかった。
でも、どんなに拒否したところで、感情が動くってことは
世界(本当の自分)からのもっと自分を愛するようになれるための
自分を深く認めて生きられるようになるための
メッセージなんだってことを少しずつ感じられるようになってきた。

そう言いつつ、すぐに人にいらいらするし、人のせいにしたくなるし
自分の感情を否定したくなる…そんなときもたくさんありますけどね。笑
たくさん俯瞰できる自分と感情に振り回される自分をいったりきたりする
そんな時期なんだ、まあ、しゃーない
っててそんなことも受け入れつつ、
自分が望んでる、自分をそのまま愛せる自分に向かえるように
自分を見守っていきたいと思ってます。

あなたが日々、心が楽になったり自分を愛するための
助けになる言葉が、少しでもここにあればうれしいです。

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