少し時間が経過してしまいましたが、
ディマティーニ・メソッドのセッション2回目を受けた事での
気づきを書いていきます。
もし、私と同じように下記のような思い込み・感情を持っているあなたがいたら
参考になるかと思うので、読んでみてください。
・人の期待に応えるのが苦しいけど、つい期待に応えようと行動してしまう。
・いつも自分を否定している
・なんだかつねに罪悪感を感じる。
・自分がどうしたいのか?わからない
・親に対して怒りや恨み、うしろめたい感情をもっている。
・親に会うのが気が重い
・親に否定的感情を持っているのに、甘えたい、話したい気持ちもでてきて
自分の内側がわからず混乱してしまう
私はまさに、上の感情をすべてもって生きてきました(笑)
ここからは自分の感情とセッション受けるまでの経緯。
私は未だ、2020年11月の今日時点では小さい頃親が自分にしたこと、
しなかったことに怒りを持っていて、必要なことだった、と受け入れる所まで至っていません。
21歳頃、家にいるのが苦しくて家を飛び出し、数年母とは音信不通。
お母さんの顔を見るのも怖くて震えるくらい…。
今思えば、彼女の怒りに触れるのもそうだけど
”お母さんの期待に応えられない”自分で母に会うのがほんとうに怖かった。
それから数年、お母さんとはお父さんを介して手紙のやり取りをするようになり、
何がきっかけかは忘れましたが(苦笑)再度会うようになり
去年まではいろんなひっかかりを感じるも、平気なふりをして母とも会っていました。
むしろお母さんのことを大好きな感情も持っているし、うまくいっているときは
人一倍仲良しの親子だったと思います。
そんな中
”一度母と連絡を取ることをやめる”と決めたきっかけは
今年2020年1月に過食症から本当に卒業したい、と思い一念発起して
一人で東京で摂食障害の人たちと会い(詳しくまた書きます)
自分のうちに溜まった感情の吐き出しをした時。
未だに小さい頃にされたこと、言いたかった!っていう
未処理の感情=怒り、寂しさ、苦しさ、愛されたかった欲求不満
がマグマみたいに溜まっていることに気づいたのです…。
これを見た時、本当に辛かった。
そして、少し大きなものから解放される兆しを感じた気がした。
平気な顔をして親に会うのが苦しいのも当然ですね、
こんな未処理の大きな感情を抑え込んでにこにこしていたんだから。
内側と外側のものすごい不一致状態。
気づいてしまった以上、今は母に会えない、と思って事情を父に伝え
実家に帰るのを一度やめて距離を置くことにしたのです。
今時点での大人の頭で考えると、親は親なりに一生懸命やっていた、とか
そのときはベストを尽くしてくれていて仕方なかったのかも、とか
と考えられることもあるんですが、それでも怒りが裏側にある。
子供の頃の自分は全然納得行かない!許せない!癒やしてほしい、と
いまでも叫んでいる。
この状態をもう少し抜けないと、今までと同じパターンを繰り返していたら
また悪化していくだけだ、と思ったのです。
それから約1年の時間が経過して、一番感じたことは親への申し訳無さ。
とくに父に対して。
母と連絡をとってないことで気まずい思いをさせてるだろうな、というのも
もちろんですが私の家族はイベントごとを大事にする家庭だったので、
毎年ささやかながらバレンタインデー、母の日父の日、お互いの誕生日
に色々と贈り合う家族だったのですが、当然その日もスルー。
(父とは連絡を取り合っているのでひとことメッセージはしましたが)
別に義務じゃないのに、贈り物をしないことに、親をがっかりさせることに
ものすごく罪悪感を感じる。
これも客観的にみたらおかしいな、とは思うんですけどね。別に義務じゃないから。
でも、義務を果たしていない感覚になる。
他、たまに湧いてくる「お母さんと話したい」「安心したい」という気持ちに
戸惑いを感じもしました。
今までは表面上といえど、過去に家を飛び出した時期以外は
私と母はお互いの愚痴から始まり仕事や学校の苦しいことを聞きあい、
共感しあい、励ましあう関係でした。
だから、ふとしたときにお母さんと話したい、と思う。
でもその人を拒絶する形になっているのは自分なんだ、と思いだす。
なんて身勝手なんだ、と自分を責める。
父から「一度本音を手紙に書いてみたら?」という言葉をもらうも、
ギャーギャーいっている自分(ここではインナーチャイルドといいます)
の声をどう伝えていいかなんてわからないし、
過去の自分がやっていたように美化して手紙にしてしまったら、
また新たな未処理の感情を溜め込むことでいい方向に向かうとは
思えなかったから、なんともいえず…。
ここまでが経緯。
そんな中、今回セッションを受けてみてわかったこと
・私はお母さんが大好きだということを改めて認識
・彼女に小さいころ褒められたことが嬉しくて、
それからずっと”ほめてもらいたい”だから”期待に答える行動をしよう”と
思ったことがきっかけに
「期待に答える行動をする」=OK
「期待と違いこ行動をする」=NG
というルールをもうけて生きるようになっていたこと。
水族館で魚がほしくてジャンプするイルカさんみたいに
「ほめことば」が欲しくて、母の思い通り振る舞うそんな自分で生きてきたのです。
だから、母が求めてくることに応じられないと、すごく苦しい。
母の希望期待に答えること=OK
で生きてきたから。
そして「期待に応えよう」と生きていると何が起きるかというと
・頭では期待に答える行動、態度、思考を模索してそれに従おうとする
・心では自分以外の価値観で生きたくなんてない、本音のまま生きたい
と欲求が生じる
ここで、不一致が起きて苦しむことになる。
ルールに従えたとしても、自分の価値観で生きていないから自分への怒りが
生じてくるし、自分がどうしたいのかだんだんわからなくなる。
ルールに従えないとき、自分はNGだと考えているから罪悪感や自己否定に
走ることになる…。
これに気づいた時、心の奥底ではわかっていたはずのことだけど
認識できていなかった(したくなかったのかな…)私は衝撃を受けました。
あなたももし、
・誰かの期待にこたえないといけない
・誰かの期待に応えないと苦しい
・だけど、期待に応えられたとしても苦しい気持ちになる
そんな自分がいると気づいているなら
このルートを改めて認識すると、新たな選択ができるようになるかもしれません。
期待に答えること=他人の価値観で生きること
↓
それは自分の価値観とは違うから、自分のハートからの声を否定し
苦しむことになる
↓
他人からの承認や褒め言葉を求めない自分になれると
自分の価値観で生きられるようになる
何か参考になるメッセージや気付きがあったら幸せです。
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