いつのまにか前の記事かいてから2週間て…!
いろいろ書きたいことはあるのに、まとめたら…とか思ってるうちに時間が経ってしまってる。
今後意識して思い立ったら文字にする!をやっていきたいと思います。
書きたいことはたくさんあるんだ・・・
最近の出来事として、ディマティーニ・メソッドの個人セッションの3回めを終えました。
もともと3回で契約していたので、一度完了になります。
まだまだ未解決のところはあるけれど、ひとつの区切りとして改めて近日中に
セッションから得られたことを文字にしたいと思ってます。
今回は、そもそも時間も気力もそれなりのお値段もかかるこのメソッドに
なぜ取り組もうと思ったのか?という経緯を文字にしたいと思います。
ディマティーニ・メソッドのセッション受けるって決めたことは
今年の出来事の中でも、人生の中でも
いろんな意味で一大決心をしたことの一つになったと思います。
1回6時間以上のセッションを3回…根気強く取り組んでくださったファシリテーターの方に心から感謝します。
泣いたり頭抱えたりいろんな意味で忘れられない時間です・・・苦笑
ディマティーニメソッドのこと自体は、3年くらい前から知っていました。
きっかけは、生きづらさ体調の悪さをどうにかしたくて潜在意識について学んでいたときに出会った方の
Youtube動画でディマティーニメソッドの話がでてきて、興味を持ったこと。
そしてネット記事を読んだり、とっかかりとして「正負の法則」という本を読みました。
ただ、その時にはディマティーニメソッドで説かれている(私の解釈で超ざっくりかきます)
・他者にみる要素というのを(自分がいいと判断するものも悪いと判断するものも)自分の内側に同じだけ持っている。
・すべての出来事にはメリットもデメリットも同じだけ存在し、それを正しく見られたとき愛と感謝に包まれる。
ということをまったく受け入れられなかった。
なんとなくわかるんだけど、ムリムリムリ、って拒絶してしまう感じで、受け入れたくなかった。
だって、
自分がずっと苦しめられた(と思っていた)親の特性を同じだけ持ってるなんて思いたくない。
そんなわけない。
憎くて、軽蔑してきたそんなところ、私は人にだしてない。
私はもっとまともなはず。
あんなふうにならないようにしよって生きてきたもん。
私がいじめられたこと、家で辛い思いをしたこと、うつや摂食障害になったことにメリットが存在する?
そうなったら、それに意味があるとしたら、私は全部許さないといけないの?
無理なポジティブ思考なんて取り入れて辛い思いをしたくない。
もう頑張るのに疲れたから学ぼうとしてるのに、また辛い思いして頑張って自分の思考を変えるなんてしないといけないの…
なーんてね、学びに対して書いてるだけで重たくなってくるくらい、負の気持ち全開だったのです。
ディマティーニの教えに対して納得できる部分もたくさんあったけど、自分の過去にあてはめて癒しが起こるとは思えなかった。
そこから3年の月日を経て…
去年の2019年12月、
だいたい22の時に拒食→過食に移行して、7年くらいの付き合いになる過食症に本気でさよならしたい、そう決心した私は
摂食障害専門の相談窓口とやりとりの上、2020年1月に東京である摂食障害の人だけが参加する自助会?のようなものに
参加する決意をしました。
東京に仕事以外で、しかも一人で行くなんてすごく久しぶりで、方向音痴の私はものすごくドキドキしながら向かいました。
しかも遅れたら参加不可!と言われていたのにも関わらず当日雪で飛行機が遅れていて、キャリーバックを引きずりながら泣きそうになって
電車に飛び乗ったのを覚えてますw
相手も鬼じゃないんだからなんとかなるでしょと思うけど、本人は真剣にこのままとんぼ帰りになりたうないと必死でしたよ…
その後なんとか間に合い、2日間のその会に参加しました。
参加後、過食がなくなった訳ではありませんでしたが
(※その会の目的自体繰り返し参加することで摂食障害をなくしていく目的であり、1回で治そうというものではありませんでいた。
ただ、私にはいろんな意味で繰り返し東京に行く気持ちにはなれなかった‥)
参加した大きな収穫として、自分の中でずっと押し込めてごまかしてきた大きな怒りが身体からはみだすんじゃないかって大きさと
ものすごいエネルギーを持って存在してること。それに気づいたこと。
これは、かなりの衝撃でした。
だって、私は私なりにすでに過去を乗り越え、お母さんを許し、平気になったと思っていきてたわけですよ。
勝手に強くなって、過去のことなんて完全に許してはないけど、それを抱えつつ普通に生きてますよ、みたいな。
過去を乗り越えたから、お母さんと普通に接することができるようになったし、時間がたつことで少しずつ楽になってきてる、とか思ってた。
でも全然そんなことなかった。
むしろ、無視している自分自身にも煮えたぎる怒りを感じて内側は大変なことになってたのです。
うすうす気づいてはいたとこもあったんですけどね…
例えば実家に帰って過去のことを思い出すたびものすごくイライラして人や自分を責めたくなったり、
自分のことをコントロールしようとする母に”過去もあんたのそういう行動のせいで辛い思いしたんだよ!!”と言葉にできないけど
煮えたぎるような怒りをリフレインしていたりね…でも怖いから言葉にできずにまた溜め込む…
でも、無意識のうちにそんな感情や自分自身をはっきり見てしまったら
お母さんとも、もしかしたらお父さんとも顔を合わせられなくなるかも、って思ってたし、
何より過去にとらわれている自分=みっともない、カッコ悪い、未練がましいって思って。
そんな感情も自分もないことにしたかった。
でも、みないようにすればするほど育っていた感情がエネルギーがそこにはあった。
傷ついて今も泣いたり怒ったりしてる自分が暴れまわてて、そのせいで苦しいし過食という行動で発散しないと生きて居られない。
そのことが、はっきりわかってしまったのです。
正直この気づきを得た時にはこの渦巻いている怒りをどうしていいかわからず、東京のホテルからパートナーに電話で泣きながら
話を聞いてもらったのを覚えてます。
ずっとたくさん重しを積み足して積み足してなんとか押し込めてた感情の箱から重しをのっけてあけたはいいものの、その中身の大きさに
自分では耐え切れず、途方にくれていた感じ。
でもずっと立ち止まってはいられない。
この感情は確かに私のものなんだし。
解消できるとしたら私しかいない。
そもそもの目的の過食症を手放すためにも、これは絶対に必要なプロセスだ。
それを実感していたから、この感情を手放す、ということを目的にまたいろいろと模索する旅がはじまりました。
そして、紆余曲折あり、今年の10月、自分が30を迎える節目にディマティーニメソッドを受けてみたい、と思った。
過去の体験に対して、セラピーやカウンセリングという形で同情や共感してもらったり、
過去の父や母を責めて”かわいそうな私”でいることはもう必要ない。
今までのプロセスでいろんな人に助けてもらって、そこはもうやったから。
だから、過去のことが必要だったのだと本当に思って、乗り越えて、完了させるために。
自分自身の認識を変えるためにディマティーニメソッドを使ってプラスとマイナスが見られるようになりたい。
そう思って、受ける決心をしたのでした。
長くなりましたが、次回は3回セッションを受けての感想とまとめをしたいと思います。
読んでくださった方に感謝です。
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