最近、帰り道”歩く瞑想”してたら改めて感じたことを書いてみます。
もし現在あなたが
・ずっと整体や通院で根本的に改善しない痛み、不調がある
・なんとなく身体が重たかったり、鈍い痛みがあったりすっきりしない
なんてことがあったら、ひとつの考え方として読んで試して頂けたら気づきがあるかもしれません。
私は2年前、仕事がハードで心が疲れ果てたら、今度は背中の痛みと息苦しさで
日々の仕事と家事が地獄みたいに感じられるようになり、病院にいったところ
”自立神経失調症”と言われました。
???となってネットで調べるも明確な改善方法が見つからず…
(そのころかこれ飲んだら治る、とかこれやったら治る、とか最短の最良方法しか求めてなかった)
息苦しいのが本当に辛くて(吸えないしうまく履ききれてない感じ)はよ治したい!!と焦るものの、
西洋薬は飲みたくないし、副作用の心配の少ないすすめられた漢方薬を飲み続け、様子を見る方向で
治療をしていたけれど、先が見えなくてものすごく不安でした・・・・。
そこから良くなったり悪くなったりを繰り返し、ひどいときには整体に週に何度も通いなんとかやりすごす、
みたいな生活をしてましたが、根本的によくなった感じがせず、そんなときに本で読んだ
”痛みも病気も心からのメッセージ”という考え方がすごく心に響き、
”この痛みは私に何を伝えたいんだろう?”そんなことを考えていました。
しかし、最近参加した瞑想リトリートでは何日か椅子か地面にずっと座りっぱなしで何時間も
瞑想をしていたのですが、これが辛くて・・・笑
背中の痛みが気になって、仕方なくて、はやく終わらせたい!ってそればっかり考えてた。
本来、一生懸命身体は自己治癒力を発揮しようとしているのに、それを私の考え方なんかが阻害してて
身体と心がメッセージとして痛みを出してくれてるだけなんですけどね。
痛みだけにフォーカスしてるときって、その痛みだけどうにかしたい!!って対象に走ろうとしてしまうんですよね。
リトリートを終え、翌週になり普通に仕事をして、心を落ち着けるため歩く瞑想を意識して帰ってたらまた背中が痛くて…。
改めて、この痛みが何を伝えたいのか、何を求めているのか?ただ感じてみました。
できるだけ思考スイッチをオフにして、自分の内側の静寂に向かって呼吸しつつ耳を傾ける感じ。
そうしたら、感じられたのはいま時点で見えた
”痛みの原因”と”ずっとほしかった言葉”
少し前から、私の背中の痛みの原因は”怒り””さみしさ””緊張感”から来てるんだろう、ってことには気づいていました。
怒りはたくさん否定して我慢して溜め込んできたし、今も仕事で溜め込んでしまうし…
さみしさは、人となかなか打ち解けられない寂しさ。
緊張感は、いつも人に対して心のそこでびくびくしていて、リラックスしたらだめだ、と思ってる。
ためこんだ怒りの部分にはまだまだ取り組み中なんですが…。
この日感じたのは、緊張感の部分に対して、
”ここに存在してたらだめだ””ぼーっとしてたらだめ””必死に何かをしないとだめ””そのままでいたらだめ”
ってずーっと自分を否定し続けている自分がいることに気づいて。
心がぎゅーっと苦しくなった。
そんな自分に
”大丈夫だよ”
”心配しなくていいよ”
”ずっと一緒にいるからね”
”安心して良いんだよ”
”ひとりにして、せめてばっかりでごめんね”
って言葉をかけながら帰ったら、なんだか泣きそうになってきて
家についたとき、不思議と背中の痛みが軽減してるのに気づいたのです。
すっと、軽くなっている感じ。
その軽くなった感じは、数日たった今も続いている。
心で感じたとおり、やっぱりさっきわいてきた言葉は自分がほんとうに求めていたもので、
私はずっとそう言って安心させてもらいたかったんだ、と思いました。
改めて、身体の痛みは心からのメッセージだということを痛感した体験。
もしあなたも慢性的な不調や病気に悩まされているとしたら、
一度心に”何を伝えたいの?””なにがほしいの?”って聴いてあげてみるといいかもしれません。
すぐに答えが帰ってこなくても、私も2年がかりでやっとちょっとわかったくらいですから(笑)
難しいけれど、焦らず。
あなたにしか聞き取れない声を、できれば静かな心で聞いてみてあげてくださいね。
私も引き続き、自分の中の不調が訪れたとき、お医者さんに聞くんじゃなく、できるだけ
まず自分で自分の心と身体に聞いてみる、を実践したいと思っています。
私にしか、できないことだから。
また気づきがあれば書いてみますね。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
あなたが自分の心と体とつながって、笑顔でいられる時間が増えるよう、なにか役に立てたら幸いです。
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